12月
「人々から集めた税金をどのように使うか?
それが国づくりの重要な問題だ」 秦の始皇帝 

今から二千二百年前、中国を統一したしん秦の国王は皇帝を名乗り、始皇帝と呼ばれましたが、本当の名前は『政(せい)』といいました。
「政が国を治める」
これが政治の語源だと言われています。彼は広い国中の文字、貨幣、長さの単位、容量の基準等を統一、全国を郡県制度に編入し、法律や行政の規則を浸透させました。
その政が知恵袋とした宰相、李斯(りし)との会話の中でこう述べています。
「人々から集めた税金をどのように使うか。配分するか。それが国づくりの重要な問題だ」
いつの時代も、いかなる国においても、限られた財源の中で、お金をどのように使ってゆくのかは、政治家にとって、リーダーにとって最大の課題です。
私は議会で様々な要望を出される
議員の方々に述べることがあります。
「議員の皆さんの要望は無限でありますが、町の財源は有限であります」と。

予算をどのように配分しているのか?
おらほの町の予算を分析すれば(平成25年度)
  川崎町 白石市 角田市 蔵王町 七ヶ宿町 大河原町 村田町 柴田町 丸森町
議会費 2.4 1.3 1.5 2.2 2.8 1.5 1.9 1.5 1.3
総務費 16.1 12.9 13.8 15.6 14.9 14.3 14.4 12.6 14.8
民生費 22.9 31.5 27.7 26.2 13.2 33.2 21.2 28.0 19.7
衛生費 12.0 15.0 7.2 11.1 12.3 13.7 12.2 11.2 7.8
労働費 1.7 0.7 0.1 0.0 0.0 2.1 0.2 0.2 0.3
農水費 4.5 2.1 4.7 3.7 9.2 1.6 4.0 2.5 5.1
商工費 2.4 4.4 3.0 2.7 15.6 2.2 1.7 2.8 2.6
土木費 10.5 10.2 12.1 8.2 11.1 9.0 14.3 15.4 11.4
消防費 4.7 4.6 6.6 4.3 4.0 3.6 4.4 3.6 22.5
教育費 15.3 8.1 13.1 14.3 6.9 11.0 9.2 9.9 5.4
公債費 7.3 8.9 9.9 10.7 8.7 6.9 16.4 12.0 9.1
 
さて上の表を見てください。
町民の皆さんからいただいた税金をどのように配分したのか。
川崎町が、ほかの市町村と比べて特に目につくのは、公債費の割合です。公 債費とは、借金の返済に必要なお金です。川崎町は借金を次の世代に残さぬよう町の運営をしています。苦しい財政の中で、他町村と比べて、教育費の割合が高 いこともめだっています。すべての小学校に放課後児童教室を設け、こども園の料金は、仙南で一番低く抑えています。来年度からは、小・中学生の二人目から の給食費を無料として、子育て支援のさらなる充実をはかっていこうと思っています。
財源不足のなか重要政策を推し進めていくためには、町長みずから身を削ってゆく覚悟が必要。
きたる12月議会では、町長の給料の30%、副町長の20%、教育長の15%のカットを上程する予定です。

改めて、道は険しく厳しくとも町民の皆さんから託された信頼に感謝し、目の前にある仕事に謙虚な気持ちで向きあってまいります。

11月
坂本龍馬のような新しさと改革を求める姿勢、 上杉鷹山のように質素倹約を旨とした行政改革を心がける

8月の川崎町長選挙で再選を果たした小山修作町長が、9月28日開会の町議会定例会で所信表明演説を行いました。尊敬する龍馬と鷹山の精神で町政のかじ取りに当たりたいと決意を述べました。

【あいさつ】
ただいま議長よりお許しをいただきま したので、町長として二期目の就任後初めてとなります、平成27年川崎町議会定例会9月会議が開催されるにあたり、町政運営の所信の一端を申し述べさせて いただき、町民の方々及び議員各位の御理解とご協力をお願い申し上げるものであります。
 
【はじめに】
 私は、この地に生まれ、育ち、そして暮らす人々が、それぞれの夢と希望を持って将来に向かって豊かな生活が送れるよう、町政運営に誠心誠意取り組んでいく所存であります。
 町政運営の基本姿勢につきましては、一期目の就任にあたりお示しいたしました「みんなが主役のまちづくり」を引き続き念頭に置き、町政運営にあたって参ります。
  町政運営は、町民のためのものであり、将来に亘って安定・充実した行政サービスを提供していくことが町長としての責務であると考えております。私は、これ まで多くの町民と接し、日頃考えておられることなども伺うことができました。町民の方々が何を求めているのか、その民意を反映させることが町政の基本であ ると考えております。
 その為には、町長が行政の長という一方で多種多様な価値観を持つ町民の代表者としての役割もございますので、そういった町民感覚とのバランスも失わないよう心がけ町政運営に努めて参ります。
 
【町政運営の基本方針】
 次に、町政運営の基本方針として次の3点を掲げたところであります。
まず、一点目は「むり、むだ、むらを省いた町政運営」であります。
 町の財政状況につきましては、これまでの堅実な財政運営により、地方債残高は平成16年度のピーク時より大きく減少し、一方で基金残高は、昨年度末で約25億円まで回復しております。
 しかしながら、元より自主財源が脆弱であり地方交付税などの依存財源が大きな割合を占めている状況にありますが、更に東日本大震災以後の国の財政事情による地方交付税や国庫補助金が減額傾向にあり、自主財源の確保にも限界が感じられるところであります。
 従いまして、限りある財源を有効かつ、効率的に活用することと、歳入に見合った財政運営を行い、引き続き健全財政の維持に努めてまいりたいと考えております。
 財政の安定化のためには、「むり、むら、むだ」を省くことを不断の取り組みとして継続し、限られた人材と財源を有効に活用していくことが求められているものと捉えているところであります。
 
二点目は、「公平・公正でクリーンな町政運営」であります。
 町政運営にあたりましては、町民の理解と協力が不可欠であります。そういった意味におきまして、開かれた町政の運営が求められているところであります。
 また、より円滑な町政運営のために利権やしがらみのない公平で公正な執行に努めて参ります。その為にも積極的に情報の提供を行い透明性の高い町政運営を図って参ります。
 これまでも広報誌やホームページなどを通じ、情報の提供に努めてきたところではありますが、特に行政情報の公開は、町民が町政に参画する気運の助長と町づくりへの住民参加のためには必要不可欠なことであり、今後も積極的な情報の提供に努めて参ります。
 
三点目は、「町民との協働による町政運営」であります。
 町民との協働は、冒頭で申し上げました「みんなが主役のまちづくり」そのものであります。
  町政運営は、町民のためのものであり、そこに住む人が地域を愛し、町民自らが町づくりに参画し、「住んでみたい」、「住んで良かった」、「住み続けたい」 と実感できる環境づくりであると考えていますが、勿論行政だけで成し遂げられるものでなく、これらの実現には、町民皆様の知恵と力の結集が欠かせないもの であると考えております。
近 年、地域においては、清掃活動、健康づくり、レクリェーション活動やボランティア活動など年々多方面に亘る活動が行われるようになり、これらは正に「自分 たちで自分たちの地域を良くしたい。」という想いの表れであり、喜ばしいことであります。住みよい地域を維持し、創り上げていくためにも地域が自主的に課 題を解決するための活動をしていくことは、益々重要になっていくものと思っております。そういった活動を大切にしながら、これからも町民の皆様と共に考 え、より良い地域づくり、町づくりに取り組んでいく考えであります。
 
【主な施策について】
 我が国を取り巻く環境は、急激に進む人口減少と、それと同時に並行で進む少子高齢化への対応については、国を挙げての様々な取り組みににもかかわらず、抜本的な解決策を見いだせない状況にあります。
 川崎町におきましても人口減少が続き、少子化対策は急務であり、安心して子育てのできる環境づくりと、若者の定住促進のための雇用の場の確保が不可欠であります。
 一方で、高齢化も進んでおり、65歳以上の高齢者は既に30%を超えている状況にあり、高齢者の方々が住み慣れた地域で明るく生きがいをもって暮らすことの環境づくりが求められているものと考えております。
 そういった視点から主に次の施策を講じて参りたいと考えているところであります。
 
(町長等の給料減額について)
 一期目におきましては、行財政改革の一端と東日本大震災の早期復興の願いを背景として町長等の給料を特例条例により、減額措置を講じてきたところでありますが、その任期間限りの適用であるため、これらの期間は終了となっております。
 少子高齢化の進行により、地方創生が叫ばれ、より一層の住みよい環境の確保や豊かな地域社会の形成など、人口減少に歯止めを掛ける施策の実施が求められております。
 少子化対策としては、子育て支援の充実強化が不可欠であり、更に拡充を図り子育て環境の整備をしていくことが必要であると感じております。
 従いまして、引き続き町長等の給料の減額を行い、これら子育て支援拡充の財源としたいと考えており、今後の議会において減額条例の提案をさせていただく予定でありますので、議員各位のご理解とご支援をお願いするものであります。
 
(子育て支援について)
 私は、これまで、医療費無料化の中学生までの拡大や乳幼児応援助成券の支給、誕生祝い金支給対象の拡充、子ども園における病後児保育の実施、小中学生のインフルエンザ予防接種助成など、子育て支援の独自の施策を講じて参りました。
 先にも申し上げましたように、少子化対策としては、さらに子育て世代の経済的負担を軽減していく必要があると考えており、教育に係る費用についても軽減を図って参りたいと思っております。
現 在、学校給食については、給食を調理する施設や器材の維持管理、調理する給食員の人件費などは、公費負担とし、食材にかかる費用は保護者に負担してもらう 仕組みとなっているところでありますが、特に多子世帯の経済的負担の軽減という観点から小中学校に在籍している児童生徒が2人以上いる世帯について、2人 目以降の給食費の無料化を講じて、子どもを産み育てやすい町づくりを推進していきたいと考えております。
 
(企業誘致・雇用の確保)
少子化の中で、その対策として子育て支援と併せて、若者の定住を促進するためには、働く場の確保が重要であることは、既に皆様も承知のことであり、引き続き重要課題として企業誘致と雇用の場の確保に努めて参ります。
私は、町長に就任してからこれまで、雇用の確保を図るため、大きく二点に絞り、対応して参りました。
一つ目は、今ある企業を大事にするということです。
私 は、町内に立地している企業の代表者のみならず、その本社を訪ね、企業理念や現在の状況など伺い、また町の現状を説明するなど多岐にわたり、代表者の方々 と意見交換をして参りました。引き続き、良好な関係を継続していくべく、さらに意見交換の機会等を増やしていく所存です。
そのような意味からも、今年度中に、町内に立地する企業の方々との意見交換や企業同士の連携が図られることを目的とした会が発足できるよう関係者と協議しているところであります。
二つ目は、新規企業の誘致であります。そのため、企業を誘致するための土台作りが必要不可欠と考え、当町の企業誘致方針を定め、職員も含め情報の共有を図り対応しているところであります。
ま た、本年3月には、企業が立地した際の各種優遇措置を定めた「ようこそ川崎町へ企業立地応援条例」を制定いたしましたが、仙南でも優位となる制度とすこと ができましたので、これらを積極的にPRしながら、これからも、雇用の確保を図るため、あらゆる可能性を視野に入れながら、職員と共に企業誘致の活動をし て参ります。
 
(シルバー人材センターの設置について)
 今、日本が直面している最重要課題は人口減少と超高齢化社会の問題であります。
 特に高齢化は、川崎町においても約3人に1人が高齢者という割合に達しており、これらの方々が住み慣れた地域で生きがいを持って暮らせる環境を創っていくことが求められているところであります。
 これまでも、老人クラブ活動やボランティア活動、世代間交流活動、或いはスポーツ活動など様々な活動が行われてきたところでありますが、更に社会参加を促進し、活力ある高齢社会をつくっていく必要があると考えております。
 特に、高齢者の長年培われてきた経験と技術は、町の財産でもあり、これらを発揮できる場として「シルバー人材センター」の設置が有効であると考えております。
センターの設置は、需要と供給のバランスなど各種の課題もあることから容易ならざる面もございますが、将来の高齢者の社会参加を、より豊かなものに導いていくために設置に向け努力して参ります。
 
(町立病院の経営改善と訪問医療の充実について)
  少子・高齢化が益々進行するなか、町内唯一の一般病院として、町民の安心・安全を基本理念に、良質で安定的な医療を提供するとともに、各種健診・健康づく り事業などの疾病予防や介護予防に積極的に取り組み、安定した医療の提供に努めて参りましたが、国の医療制度の改革や診療報酬改定等により、病院事業を取 り巻く経営環境は大変厳しい状況にあります。 
  平成22年度から5ヶ年にわたり計画された国保川崎病院医療改革プランについては、接遇改善や経費の節減等、一定の改善は見られたものの、収支状況は慢性 的な赤字を解消するまでには至っておりませんので、さらなる改善を図るため、平成27年度から3ヶ年による国保川崎病院運営計画を策定したところでありま す
運営計画は、病床利用率の高い療養病棟を8床増設し、一般病床30床・療養病床28床の計58床に病床区分を変更し、入院収益の増大を図るものであり、既に8月末で病床変更の工事を完了しており、一般病床から療養病床への移行を順次行っているところであります。 
 また、当院の主要収入であります入院患者による増収対策として、急性期病院からの入院患者の受け入れ確保のため、仙台市・仙南地域医療圏での連携を強化するとともに、在宅診療の実施及び健診事業の拡充により、恒久的な入院患者の確保を図るものであります。
在宅診療については、6月から訪問診療を実施しており、8月末現在で、7人の個別訪問と3施設の巡回訪問診療を行っております。 
院 内でも入院患者の退院時及び外来患者の家族代理処方の際には、訪問診療の啓発を推進しているところであり、町民の信頼と親しまれる病院を目指し、保健・医 療・福祉が一体となり地域住民の保健衛生の維持増進を図るため、引き続き安定した医療を提供し、経営改善を図ってまいりたいと考えております。
 
(観光交流人口の増加・商店街活性化のためのイベント支援の強化について)
人々が集う町は、食材、衣料、燃料、輸送、宿泊等あらゆる消費拡大や雇用創出に繋がり、経済活動を好転させるとともに、そこに暮らす人々の活気を生み出すものであります。
幸いにして我がふるさと「かわさき」は、自然環境、歴史、温泉、公園、レジャー施設、農産物をはじめとした特産品、そして、この地を守り続けてきた先人、この地を愛してやまない人材のなど、観光資源の宝庫であると自負しております。
私は、「かわさき」に埋もれている資源の磨き上げ、掘り起こしを進めながら、かわさきらしい資源の覚醒、発展的な産業活性化を目指していきたいと考えています。
観光協会や商工会をはじめ、観光関連団体との密な連携を図りつつ、我々地域住民も誇りや楽しみを共有しあえるような、「町ぐるみ」の取組みにこだわり、また、町全体の内から湧き出る熱意を表面化させることこそ、観光交流人口の増加を生み出すものと考えます。
これまでも町特産品のPR活動や各種観光イベントが行われてきたところであり、これらが少なからず町の活性化に寄与しており、今後におきましても各種イベントの継続・拡大が図られるよう積極的に支援していくと共に観光宣伝の強化を図って参ります。
そのためにも、「アイディア、話題性、宣伝戦略」の強化を図るとともに、私自ら町の広告塔として奔走したいと考えております。
 
(農産物直売所支援について)
 農業を取り巻く情勢は、TPP交渉や 減反政策の転換、農業従事者の高齢化など課題が山積の状況にありますが、近年の「食の安全・安心」に対する消費者の意識の高まりから、地産地消や食をテー マとした地域活性化策も活発に実施され、農産物の直売所は農業振興のみならず、観光面でも大きな効果が期待されているところであります。
 これまで、東日本大震災により営業を 休止していた特産センターへの経営再開の支援を進めている他、これまでなかった果樹生産による農業振興策として「いちじくとキウイ」の推進を関係機関の協 力を得ながら進めてきたところであります。お陰さまで、10月には初出荷がはじまり、本町にも新たな特産物が加わる見通しとなったとこであります。
今後、これらを確かな軌道に乗せるためにも、これまで以上に県や農協などの関係機関と連携を図りながら、多品種の作付け・出荷が可能となる対策など、経営の安定と生産者にとって有効な所得確保の一要素となるように積極的に支援してまいります。
川崎町を訪れる観光客が魅力ある直売所によって笑顔になり、また訪れてくれるように生産者と協力し工夫しながら進めてまいります。
 
以上、所信の一端を申し述べましたが、より良い「町づくり」のため、誠心誠意努力して参ります。
私は、4年前に申し上げました。
未来への道のりは決して平坦なものではないだろうと。
け れど、先人達が多くの困難を乗り越え、まちづくりをしてきたように私たちも知恵を出し、夢を語りつつ「坂本龍馬」のような「新しさと改革を求める姿勢」、 そして「上杉鷹山」のように「質素倹約」を旨とした行政改革を心がけて、暮らしやすい郷土を築き上げてゆきたいものです。
そのためにも議員の皆様をはじめ、町民の皆様の英知と情熱を結集し、まちづくりへのご支援とご協力をいただきますよう切にお願い申し上げ、私の所信表明といたします。
10月
県内最高齢の鳥獣被害対策実施隊員銃を置く!
大津熊三郎さん(91)
 
銃をもって56年。捕獲隊活動33年を振り返る大津さん 9月7日
裏丁に在住の大津熊三郎さん。若いころに、太平洋戦争があり、国土防衛隊に所属していました。終戦を県内の王城寺原で迎えますが、当時尊敬していた上官に言われました。
「戦争が終ったのだから、これからは命を大切にしろ。けれど、だからといって、自分だけのことを考えてはいけない。人の為に尽くす生き方を忘れてはならない」と。
戦争を生きのびた大津さんに、その後の人生を振り返ってもらいます。
 
35歳で狩猟免許を取得 
私は、戦後の動乱をのりきり、仕事をし結婚、子育てと忙しい日々をおくりながらも、昭和34年、35歳の年に狩猟免許を取得しました。
元々、軍隊では、射撃が得意でしたし、高度成長に入りつつある時代、銃をもって野山を駆け巡るという行為は、ひとつのステータスでもありましたから、腕を磨くために村田町のクレー射撃場にも通うことになりました。
その甲斐あって、飛んでくる標的150枚、すべてを打ち落とすほどの技術をもつこととなり、仙南地区の射撃大会で優勝したことも。仕事は宮城交通のバスの運転手。日ごろの運動不足を解消するためにも、よく歩き、よく集中する狩猟は、私にぴったりだったのかもしれません。

「人の為に尽くせ」住民の信頼に応えたい
そんな時、川崎町で有害鳥獣駆除隊が結成されました。迷うことなく入隊。昭和57年の春のことです。
以来、33年間、隊の名は、捕獲隊、実施隊と変わっても、イノシシ・クマ・サルを追いつづけてきました。
頼りにしてくれる町民の信頼に応えたい。期待を裏切りたくない。その気持ちで、イノシシの罠を設置した場所には、天候に関係なく、毎朝、自ら運転して巡回してきました。
みなさん、御存じのように川崎町は、他の町に比較して、電気柵の設置についての支援が、手厚いことで有名です。また、イノシシの捕獲数も年々、増えています。
このことは、小山町長さんはじめ、町当局の方々が、苦しい台所事情の中で、予算を取ってくれること。加えて、実施隊の仲間の尽力の賜物だと思っています。そして・・・
〈気がつけば、91歳。長い間、好きなことをし、しかも、町民に信頼され、事故を起こすことなく、銃を置くことができ、みなさんに感謝しています。仲間に。そして亡き妻に〉 
県内でも最高齢の実施隊員だった大津さん。確かな腕前と経験、そして、実直な人柄。その功績を讃えるとともに、これからも元気で暮らされることを願うものです。 
 
勢ぞろいした実施隊のメンメン。最前列右から2番目が大津さん。町民の期待と信頼をになって一致団結です。(平成27年3月17日撮影)
大津さんは9月28日、満91歳となりました。

 

9月
小山町長就任演説 職員に結束を語りかける

みなさん。おはようございます。
多くの町民と職員を前に、就任の演説をする小山町長。学生時代から愛用の細いネクタイが、すがすがしい。スーツは、ブルックス・ブラザーズの濃紺夏仕立て。大切に大切に手直しをして着ている。まさに愛着の一品。
8月28日 午前8時45分ごろ 役場内議場にて
さる8月9日の川崎町長選挙で再選された小山修作でございます。
本日、私は、私たちの目の前にある仕事に、心から謙虚な気持ちで向き合い、町民のみなさんから託された信頼に感謝し、先人たちが行ってきた営みに思いをはせながら、ここに立っています。
これまで多くの先輩たちが、町づくりの先頭に立ちました。
繁栄の時があれば、流れが停滞するときもありました。また、暗雲が立ち込め、まるで嵐が荒れ狂うような時代もありました。
しかし、どのようなときも、この町が存続できたのは、指導者の存在や力量だけでなく、この町に住む人々の努力と忍耐があったからなのです。そしてなにより、この役所に集うみなさんや、みなさんの先輩方のご尽力があったからです。
私は、4年前、この場所で、ここから申し上げました。初当選の翌日、初登庁の就任演説であります。
「今から1400年前、日本で初めての憲法が制定されました。古代日本の開明的知識人であり、希有な理想主義をもつ政治家、聖徳太子の17条憲法のうち、5ヶ条は、役人のあり方についてのものでした。
 
第4条、役人は礼儀をきちんとつくすようにすること
第8条、役人は仕事をなまけてはいけない。朝早く勤めにでなさい。
第12条、役人も人民のひとりにすぎないのだから、いばらないこと。
第13条、役人は、お互いの仕事について理解しあうこと。
第14条、役人は、ほかの人がえらくなるのを、ねたまないように。

17条の憲法は、町長、議員、役人いや、すべての人々の生き方の指針となるべきものでありましょう。
あらためて、みなさんには、町民が安心してこの町で暮らせるよう、安心して子育てができるよう、町民の心の支えとなって下さるようお願いするものであります」と。
さて、今回の町長選挙、三人が立候補いたしました。三人とも、この町を愛し、この町の将来を思い、この町に住む人々を大切に思っています。だからこそ、一生懸命、戦うことになるのです。
戦いは終わりました。今日が、始まりです。どこを見ても、取り組まなくてはならないことがあります。
ドイツの政治家であり文学者であったゲーテは、こう言いました。

仕事をするには仲間が必要だ。
仕事をすると仲間が増えてくる。

私たちは、この町に集い、この町に営み、この町に働く仲間です。
これからも、子供たちが、孫たちが、次の世代が、希望と美徳とともに歩んでいけるよう、多くの先人たちが、凍てつく流れにいどみ、困難を耐えしのんだように、お互いに、仲間として協力しあい、支えあってゆこうではありませんか。
ここには、人材と予算と機材と、みなさんの誠意があるのです。
これまでの町づくりへの御尽力と御理解に心から感謝申し上げます。
これからの道も険しいものでしょう。しかし、しっかりと地平線を見すえて、ともに歩んでいきましょう。
幸福が一人ひとりに降り注いでくれるようにと祈りながら。


8月

「受次て 国の司の身となれば 忘るまじきは 民の父母」

      今から約250年前、山形・米沢藩の藩主となった上杉治憲(のちの鷹山)がよんだ和歌
      当時、治憲は17歳であったという

出産・子育てを支援しています。4月からさらなる政策を投入。
この国の一番の問題は少子化、と私は言いつづけてきました。
 日本の総人口が減少して間もなく約10年になろうとしており、今や人口減少の市町村であることは普通のこととなり、かりに現状では、人口が増えている市町村も、やがて人口減少局面に突入することが確実になっているのです。
 しかし、だからこそ、私は町長に就任してから、これまで以上に出産・子育て支援策を充実させてきました。例えば、町長の給料を35%カット。町民への香典も、町長交際費から出すことをやめ自前としました。
 これにより町長交際費は、以前の約60%となりました。このようにして捻出した財源などを基に次の政策を実施しました。
 ①中学卒業までの医療費無料化
 ②生後1年間、紙おむつ費を助成
 ③すべての小学校に放課後児童教室を設置
 ④こども園で病後児保育を開始
 ⑤生後6カ月から中学生までのインフルエンザ予防接種に費用助成
 ⑥閉校の小学校区と柴農川崎校~赤石間にスクールバス運行
 ⑦町民バス利用、高校生まで無料
 
4月よりさらなる支援策を投入
 さらに、これまで健やか誕生祝い金事業として、第3子以降が生まれた場合に30万円を支給していましたが、広く子育て支援を図るため4月より、第1子から10万円相当を支給することも加えました。
 また、紙おむつ購入券は、乳幼児応援助成券と名を変えて、乳幼児の養育に必要な紙おむつ、衣類、粉ミルクやベビーフード、哺乳びんなどを町内の店で買ってもらうため、生まれてから満1歳まで、1カ月1万円の購入券を交付するものです。
 このような政策の投入で川崎町の子育ての環境は、他の市町村以上のものとなっていると評判になっているところです。
 足の速い若者世代をつなぎとめる、あるいは呼びこむには、若者が魅力を感じるまちづくりをするのは当然でありますが、職場が他市町村であったとしても、結婚や出産、子育てをしやすい環境を整備し、それをPRすれば、この町に定住する若者世代は増えるはずです。
 人材への投資は、いつの時代でも地域づくりの要諦なのです。
 私は、これからも、地域のために町民のために身を切る改革を進めながら町づくりの先頭に立つ覚悟です。
 
尊敬する上杉鷹山公の和歌
「受次て 国の司の身となれば 忘るまじきは 民の父母」
 
私の座右の銘です。この地方の司すなわち、リーダーを受け継いだ私が、忘れてならないのは、人々の父母になった気持ち、慈しみと強さと愛をもつことである。
 鷹山公の政治は、常に「慈愛と思いやり」に満ちていました。
 リーダーは人々のために政治をするものです。それは、他人を愛する心そのものなのかも知れません。

7月
地元に泊まろう。近くて、安くてうまい。

蔵王山警報解除。風評被害に悩まされた青根、峩々温泉の関係者もひと安心。
そこで町民のみなさん。あらためて町内の宿泊施設を巡ってみませんか。
 

 警報が出たのは4月13日。それ以来、青根・峩々温泉は風評被害によりお客さんの入りが大幅にダウン。
 そこで町では、関係者と説明会を開催。ラジオ、新聞等で両温泉の良さをアピールするとともに、村井知事と意見交換をし、さらには町長が上京、太田昭宏国土交通大臣に要望活動をしました。ここまでが、前回の広報かわさき6月号の紙面です。
 さて、そこで川崎町は「大変、大変!お得な宿泊クーポン券」を企画し、 6月6日支倉常長まつりの会場で先着300名に配付を決行。当日は早朝より小雨模様。にもかかわらず多くの人々が列をつくり、配付の時間をまつことに。お かげさまで一時間足らずで300枚すべてが、宿泊希望者の手に渡りました。
 また、常長まつりの2週間前、5月20日には、町議会で蔵王山警報に対応すべく補正予算案を可決し、いよいよ様々な施策に着手することに。
 まず、一番は、防災通信設備の整備。緊急広報用の屋外スピーカー2基を青根温泉に設置します。峩々温泉には役場と互いに通信できる無線装置や非常用電源を配備することに。
 加えて、観光客数の回復を狙い、新聞やテレビ、ラジオの広告宣伝、温泉周辺でのトレッキングイベント開催などに取り組みます。
 おりしも、今年は青根洋館となりの土地をトイレ・駐車場として整備する ために2200万円を計上しており、今回の補正予算4000万円と合わせて青根・峩々温泉を中心に、防災対策の充実を図り、観光客に安心して来てもらい、 イベントを積極的に開催し、リピーター増加につなげたいと思っています。
 特に、テレビCMは15秒という時間の中で、故郷の良さを、ぐぐっと詰め込んだ秀作に仕上がりました。6月の下旬から民放4社で放映されております。とても好評です。ちなみに、ナレーション、構成を町長みずから手がけております。
▲町長のデザインしたチラシです。 ▲並んでもほしい。すごい人気でした。
 ところで、町長は、久方ぶりに峩々温泉に泊まりました。温泉の素晴らしさと料理の味わいに、夫婦そろって感謝感激。特に、川音の響く中、天上に輝く星を見上げて入る露天風呂の風情は、なんとも言えないものです。ふ~う。極楽極楽・・・。
 それから、これは秘密なんですが青根温泉の岡崎旅館さん、ここもいい所 ですよ。先日、役場の課長会で川崎病院の新院長、内山先生の歓迎会を岡崎さんでやりました。まず新緑の光あふれる、若返りの湯に身をゆだねる。さっぱりと した後は、ロビーでお茶をいただく。お湯は鉄びんで炭火で沸かされたもの。炭火は一年中、絶やされることがない。ぐ~とお茶が腹に落ちてゆく。
 まわりには、こけしや人形などが綺麗に並べられている。昔、客間にあったであろう調度品も、ほどよく磨かれていて気持ちがいい。
 気が向いたら旧館を覗いてほしい。檜の香りのする湯船。木のまさ目が見事。ぜい沢です。この旅館にある二つの風呂の趣、五十歳を過ぎて判るものだろうか。私も年をとったのだと少し複雑な心もちになっていると晩ごはんとなりましたが・・・。
 はっきり言って旨いんです。秋保や作並、遠刈田にも負けません。安い料金で旨いものをお客様に提供する。青根温泉、老舗旅館のおもてなしの心が伝わってくるようです。
 さて、蔵王山警報解除から2週間。私は町長として火山対策に気を緩めることなく取り組む所存ですが、あらためて、峩々や青根の、ひいては町内の宿泊施設の良さを、ありがたさを感じたところであります。
 町内に泊まりましょう。
 ▲檜の香りが神々しい貸切風呂。とてもやさしい湯です。       ▲格子ガラスから懐かしい明かりが浮かび上がる。岡崎旅館の旧館。
▲新緑の光まばゆい若返りの湯。その湯につかれば5歳若返る。   ▲自在かぎに鉄びんがかかる。炭火で湧いた湯は鉄分たっぷり。
 ▲評判の料理。季節や料金によって多少異なります。
6月

蔵王山対策。知事と意見交換、政府に要望!

県や国に要望活動。新聞、ラジオで観光客を呼び込み。コンサートで若者と沈静化を祈る。
今後、さらなる観光業界支援策の追加、テレビ広報、防災無線の整備も実施予定。

 
蔵王山の火口周辺警報が出たのは4月13日。町は情報収集や立ち入り規 制、住民への対応に追われました。 16日には、青根と峩々温泉の観光関係者で説明会を開催。深刻な現状を報告いただき、町長として「青根温泉は火口から 約8キロ、峩々温泉は約5キロに位置、現時点の警戒範囲から離れている。両温泉は大丈夫だと町内外に発信する」と約束。
早速、町観光協会と連携。新聞広告やラジオメッセージで両温泉の魅力を発信すべく企画に着手。おりしも、4月25・26日はアラバキロックフェス。2日間で全国から5万人以上が来場。初日、大観衆を前に地元の町長としてオープニングの挨拶。
「みなさんの熱い思いとエネルギーで、蔵王のお山の怒りを鎮めていただきたい。そして、家に帰ったら蔵王は大丈夫。私達の祈りが通じたと言ってほしいのです。」
これには、「わかったぞぉー」と会場に響きわたる拍手、鳴り止まず。 
5月。ラジオから毎日、両温泉を紹介する声が流れ、新聞には新緑に萌える旅館の風情が掲載される。

▲アラバキでのステージ挨拶 4月25日
▲新聞・チラシに使用している広告。小山町長の考案。

そして、満を持すこと一カ月。5月9日、青根に村井知事を招いて意見交換会。私は観光関係者の窮状を訴えることになりました。
勿論、具体的な課題も参加者から出されました。知事は様々な政策を準備し町と連携しながら推進していく考えを明らかにしました。

▲村井知事に現状を述べる町長(右奥)手前は大浪議長、眞壁範幸議員。 5月9日青根温泉じゃっぽの湯。

加えて5月13日。東京の国土交通省を訪れ、防災対策強化や観光業支援を求める緊急要望を行いました。
宮城、山形の自民党県連、公明党本部の幹部の方々と太田昭宏国交相に要望書を提出、思いを吐露する。
太田大臣は「入山しても問題がない範囲をしっかりメッセージとして発信し、観測体制ももう一度充実させる」と述べ、気象庁や観光庁と調整しながら支援策を検討する考えを示してくれました。

 
 ▲太田国土交通大臣に要望書を提出。公明党・井上 幹事長(左から6人目)より右へ、太田大臣、西村副大臣、 伊藤自民県連会長、村上蔵王町長、そして小山町長。国交省・気象庁などの関係者に加え報道機関 も詰めかけ 100人ちかくとなる。 5月13日午後4時すぎ 東京 国土交通省大臣室
▲放送局の取材を受ける 国土交通省内で


 さて、県や国への要望活動を続けながらも、町独自の政策はどうなっているのか。次回は、その内容について述べさせていただきます。

 

5月

町民のための病院として、地域に医療を提供しつづけるために


今、自治体病院は「公共の福祉の増進」を目的とした経営から「経済性・効率性」を最優先させる経営への見直しを求められています。
地域に不足している医療を提供していくことは大切だが、あまりに大きな赤字は、町の財政を圧迫するということです。このことは議会からも、再三、指摘をうけてきました。
私は平成23年8月、町長に就任以来、何度も病院に通い現状を見てきました。そして医師たちと討論しました。また、医師を派遣してくださる東北大学病院等の教授たちとも意見交換してきました。勿論、現場のスタッフとも。
おかげさまで、川崎病院の赤字は、かなり縮減しました。関係者の皆様の御尽力に心から感謝いたします。
しかしながら、さらなる職員の接遇改善・意識改革を求める声や経営改善の必要性を問う意見を、多くの町民の方々から、よせられているのも事実です。
年をとり老いてくれば、誰もが病気になりやすくなる。寝たきりで動けなくなる人もいる。不注意でケガをする人もいる。
病気やケガをしたらどうしたらいいんだろう?川崎病院がある。町民にたよりにされる病院。患者さんにとって心地良い病院をめざして、このたび、内山美寧氏を院長に任命しました。
同時に新たな運営計画をまとめました。
私には町民の健康を守る義務があります。院長はじめ職員一同とともに川崎病院が、これからも地域に医療を提供していけるように努力してまいります。町民の皆様の御理解宜しくお願いします。
4月

熱き思いを胸に巣立つ君たちへ
                                                                     (柴田農林川崎校卒業式の祝辞より)

学校存続の決め手

卒業生のみなさん。父兄の方々。そして、教職員の先生方。この3年間よく頑張っていただきました。
  川崎町民を代表して、心から感謝と敬意を表するものであります。
  みなさんの努力のおかげで、この柴田農林川崎校の存続が決まったといっても過言ではないからです。
  「地域になくてはならない川崎校」それは、私もよく分かっています。しかし、この誰もが予想だにしなかったスピードでやってきた少子化の時代。宮城県が、かねてより打ち出していた小規模校の再編基準がありました。
▲感謝を述べる小山町長
すなわち、分校として存続するには、全学年で80人の生徒が在籍しなければならない、というハードルをいかにしてクリアしていくのか?
  明確な方針や打開策は、残念ながら、誰も持ちあわせていませんでした。ただ分かっていたのは、再編基準を満たせず他の分校は、すべて、その門を閉じたということでした。


 4308人の署名集まる
 そのような折、一昨年の12月、生徒諸君、先生方、そして川崎中、富岡中、川崎校の父兄のみなさんが、この学校を存続させるため4308人の署名を集めてくださいました。
  その署名と要望書を携え、私は川崎町議会の大浪議長と、県知事ならびに県教育長にその旨を伝えました。 そして、各関係者に働きかけること一年。宮城県 は、この川崎校の校舎の中に、今までどおりのみなさんが学んだ普通科と、別の教室に支援学校をあわせて設けることで存続する道を開いてくれたのです。
  支援学校とは、軽い知的障がいがあるけれど、中学校の特別支援学級などを卒業した生徒を対象に、就労に向けた教育を行うところです。

人を慈しむ心をもって
 川崎校は、小さい学校だけれどもみんな一生懸命、勉強している。努力している。人数が少ない分、お互いを大切にしている。人を慈しむ心をもっている。
  私は、この3年間、ず~とみなさんを見てきました。公開授業、弁論大会、文化祭、体験入学、体育大会。みなさんの努力が、みなさんの姿が、各方面で高い評価を得ていました。
  川崎校で学んでいる生徒たちなら軽い知的障がいをもった生徒たちを受け入れてくれるだろう。仲間として接してくれるだろう。
  川崎校を必要としている生徒たちがいる。支援学校を必要としている生徒たちがいる。生徒たちが仲間として認めあって助けあって支えあって、互いに成長し、この社会で生きてゆく力を養ってほしい。
  いや、川崎校の生徒たちなら、それができる。できるにちがいない。

一人一人の前向きな姿
 宮城県、そして宮城県教育委員会は、そう判断したのだ、と私は確信しております。川崎校の存続の決め手となったのは、ここにいる卒業生、そして、在校生のみなさんの一人一人の前向きな姿だったのです。
  昔から、人を評価するとき、最も簡単で確実な方法は、その人がどんな人々とつきあっているかだ、と言われています。
  この3年間、つきあってきた仲間に感謝し、導いて下さった先生方に感謝し、育ててくれた家族に感謝し明日から、それぞれの道を歩んで下さい。卒業、本当におめでとう。
  そして、ありがとう。

▲全員で校歌斉唱。みんなの心がひとつになりました。

 

2月

常長を生んだ米沢市 常長を育んだ川崎町

▲ お世話役の岡崎利勝さんと。
▲安部市長と。となりは、米沢新聞の記者が取材中。

 先日、山形県の米沢市役所へ参上し、安部市長と懇談してきました。
 御存知、米沢は、伊達政宗公と我らの誇り、支倉常長の生誕の地であります。山形県の最南端に位置し、面積は川崎町の約2倍、人口は、8万9千人。歴史と文化が息づく城下町です。
 昨年の8月末、常長生誕説のある関地区に「常長資料館」が開設され世話役の岡崎氏との縁で、安部市長との懇談が企画されたものです。
 おみやげは、勿論、日本人として初めてチョコレートを食べたとされる常長にちなんだチョコケーキ「初コラータ」さらに噂のチョコえもんカップ酒!と甘党、辛党どちらでもよし、との選択となりました。
 「近年は伊達政宗だけでなく常長にも注目が集まっている。町あげての観光PRに取り組んでおり、今後は米沢市との交流も深めていきたい」
と私がきりだすと市長は
 「昨年の上杉雪灯篭祭りに、常長武将隊に出陣していただき、お陰様にて大成功となった。当市でも、常長資料館の開設などを通して、あらためて、国際人、常長の偉業を讃えていこうと思う。お互いに常長ゆかりの地ということで、協力しあっていきたい。」
 と答えた。もとより安部市長は歴史・文化・映画ずきとして有名であり、全国の市長の中でも、その見識は、飛びぬけており、他の追随を許さないと聞いています。
 一方、わが川崎町は、常長をモチーフにしたゆるキャラ、チョコえもんを考案し、 数々のグッズやナンバープレートを作成、支倉常長武将隊の結成、初コラータの製造、地元の酒屋さんがチョコえもんのカップ酒を販売するなど、常長を育んだ 町として、次々と新手を繰り出し、またそれに関わってきました。
 さらに、町の観光協会が、常長記念切手やピンバッチを只今、企画中だそうです? あっ、これは秘密でした。皆さん、口外しないで下さい。  

 ▲昨年2月、米沢での「上杉雪灯篭まつり」に出陣した
常長武将隊。

▲和服姿で市役所の案内をする女性。さすが歴史の町

 そんなことで、このコーナーの原稿を執筆中に、ある町民の方から新聞の切り抜きをいただきました。米沢新聞の記事でした。
 「米沢に遊びに行って新聞を見たら、町長のことが大きく掲載されていた。常長の縁だとか? 常長は、すごい財産だね。ありがたいね。」
 伊達政宗の先見性、支倉常長の偉業。常長を支えた支倉地区の先人たち。20年前に常長祭りを始め、引きついできた多くの関係者に感謝。
 本当に支倉常長は川崎町の宝。

 

1月

皆さまからの信頼に感謝して

新しい年が始まりました。
昨年を振り返りますと、日本各地で災害が発生。
川崎町においても、2月の大雪は、農業用施設などに大きな被害をもたらしました。町では、県内のトップをきって、独自の支援策をまとめ、復旧の道すじをつけました。
東日本大震災から、まもなく4年…。
あらためて自然災害の脅威を覚えると共に、有事の際の心構えを新たにしているところです。
これまで、多くの先輩たちが、町づくりの先頭に立ちました。繁栄のときがあれば、暗雲の立ちこめるときも…。
しかし、どのようなときも、この町が存続できたのは、指導者の力量だけでなく、人々の努力と忍耐があったからなのです。先人たちの価値観は、正直、勤勉、勇気、そして、寛容の中にありました。
それはこれからも変わらず、求められるものでありましょう。
どんなときであっても、みんなが希望を失わず、故郷を大切にして、努力と忍耐をすれば、必ず良い知恵がうまれて、展望が広がる。先人たちはそう言っているようです。
私たちは、皆さまから与えられた信頼に感謝し、目の前にある仕事に謙虚に臨んでまいります。
子どもたちや孫たちのために、これから生まれてくる世代のために、今年もひるむことなく前進してゆきましょう。


 

 

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