広報かわさき「町長がゆく」に掲載したものを抜粋しております。

12月

 10月27日、2012高校生スピーチコンテストが東北文化学園大学で開催され、柴田農林高校川崎校2年生の川島加那さんが見事最優秀賞を獲得しました。

私が今、考えること
私は、今年の夏休み、東日本大震災で被災した高校生を対象に、中国で交流をする企画に参加しました。
中国の人々の貧富の差と、いまだに日中戦争の事を忘れていない人々が多いことに驚きました。戦争が人の心に深い傷を残してしまった事実を私達は忘れてはいけないのです。
そんな中国の人々も、東日本大震災の時は多くの支援をしてくれました。力になりたい、助けてあげたいという気持ちは誰にでもあるのだと私は思います。
今も大震災の復興は進んでいません。私達に必要なことは自分が何かできることはないか、一人一人が考え行動することです。
私はボランティア活動をしています。募金を集めたり青根温泉に避難された人々のイベントの手伝いをしました。その中で感じたことは、被災された方々のほうが大変な思いをしているのに、逆に私達のほうが笑顔をもらえた事です。
みなさんにも、自分にしか出来ない事がきっとあります。小さな事でも、必ずそれを喜んでくれる人がいて、誰かの役に立っているという事を忘れないでほしいのです。

 

 町長も、川島さんのスピーチを聞かせていただきました。
紙面の関係で、文章を要約させていただきましたが、彼女の発表は内容も発声も、間のとり方もすばらしく、心に響いてくるものでした。
私は彼女のスピーチを聞いて、有名な演説を思い出しました。
今から51年前、アメリカの第35代大統領ジョン・F・ケネディが就任演説で使った言葉です。

アメリカ国民の皆さん。アメリカが皆さんに何をしてくれるのだろうかと問うのではなく、皆さんが国のために何ができるのかを問うていただきたい。

 

 国民が、国が何もしてくれないとか、国がだめだから自分たちがこうなるといった他力本願的な態度を戒め、むしろ、自分たちが自主性をもって運命を切り開いていってほしい、といった気持ちがこめられていたのです。
当時41歳の若々しいケネディのイメージは、新鮮で決断力をもち、高い理想主義に裏付けられたものでした。演説の名手と謳われたリンカーンの演説原稿を調べあげ、何回も書き直されたその文章は、より短く簡潔に、平易でリズム感にあふれたものになったといわれています。
明快で歯切れのよい文のなかに哲学・歴史・夢・理想が含まれていたのです。
私は川島さんの感性が、いつの時代にも求められているもの。現実のきびしさを心得ながらも、知られざる未来に立ち向かっていくという決意に満ちたものと思われたのです。
自分たちは何ができるのだろうか?
それを探し求め続けるのが人生なのかも知れません。

 

11月 

古賀政男の見た夕日

まぼろしの 影を慕いて
雨に日に
月にやるせぬ わが想い
つつめば燃ゆる 胸の火に
身は焦れつつ しのびなく

 この歌は、名曲「影を慕いて」の一番の歌詞です。国民栄誉賞に輝いた古賀政男先生の代表的名曲です。今から84年前、昭和3年の夏、24才の古賀政男青年は、友人の村田町の大沼幸七氏と青根温泉に宿をとりました。
このとき、古賀青年は、荒涼とした山中で自殺をはかります。幸い、大沼氏の呼びかけで我に返り、一命を取りとめます。
谷底から上がって来たとき、彼の目に映ったものは、蔵王の山に消え入ろうとする夕日でした。
その夜、胸の鬱屈は凝固して、あの詩となったのです。当時、古賀青年は失恋、生活苦、未来への絶望の中にあり、そのすべてを織り込み、謳い上げたものが、この詩となったのです。
苦心しながら曲をつけたのは、秋になってからでした。
蔵王山麓の大自然、良質な温泉、青根の人々との触れ合いが、政男青年にきらめきのような人間の生死を超えた名曲を与えたのだと、いざなったのだと私は確信しております。
このたび、名曲を育んだ、青根温泉を舞台に「青根温泉感謝祭~古賀政男を偲ぶ」を開催できましたことは、ひとえに古賀メロディーを愛する全国のファンの皆様からのご愛う顧を賜ったこと、そして、青根地区関係各位の絶大なご支援・ご協力によるものでした。
昭和の大作曲家であり、日本歌謡史に燦然(さんぜん)と輝く古賀政男先生。その生涯を通して先生の心は、常に大衆とともにありました。大衆の心のふれあいから生まれた古賀メロディーは、これからも多くの人々に愛され、慕われ、歌い継がれていくことでありましょう。
そして、その原点は、青根の地より生み出された「影を慕いて」という名曲だったのです。
84年前、青根温泉で、彼は死にかけ音楽家として生まれ変わったのです。青根温泉は、音楽家、古賀政男を生んだところ、古賀メロディー発祥の地であり、彼の目に映った夕日は、今も往時のままであります。

平成24年 晩秋

 

10月

海猿・いわ猿

 皆さん。海猿という映画を御存知でしょうか。
それは、海で遭難した人々を救助する男たち、そして、彼らを愛する女たちの物語です。
この8年間に5本のシリーズが作られ、そのどれもが大ヒットしました。
災害や事故を呆然と受け止めるしかなかった様々な立場の人々が、ひとり、またひとりと立ち上っていく物語であります。
今、現在、上映されているブレイブハーツ海猿で主人公は言います。
「俺たちに必要なものは、技術と判断力。そして、これだ!!」
と言って拳で胸をたたきます。
ブレイブハーツ。直訳すれば、勇敢な心。まさに心であります。
人を助けたいという心。人の役に立ちたいという心。見ているには忍びないという心。なんとかしたいという心。技術と判断力と、そしてなにより心が大切だと映画は語っておりました。
皆さん。海には海猿がいます。
そして、川崎町には、皆さんがいます。苦難の中に嘆きを言わず、困難の中に弱音を言わず、ただ、ひたすら町民のために奉仕してくださる皆さんがいるのです。海には海猿、私たちの町には、いわざるがいるのです。
町民の生命・財産を守るため、厳寒の夜も、猛暑の日も、勇敢な心と尊い責任感をもって現場に駆けつける皆さんがいるのです。
技術と判断力と勇敢な心をもった皆さんがいるのです。
皆さんの御尽力があったからこそ昨年の東日本大震災の修羅場を凌ぐことができました。心より感謝申し上げるものであります。
結びに、本日の演習は、短時間であります。消防団の皆さんには、いつものように、まなじりを上げ、胸を張り、地平線へと挑む心をもって、堂々と演習されんことを切望し、町長告示とします。

川崎町消防団消防演習にて

 

9月

生意気。泣き虫。なまけもの。

 昔々、あるところに、おじいさんとおばあさんがおりました。
日本の昔ばなしは、この文句で始まります。では、お父さんとお母さんはどこにいたでしょうか。二人は、山で炭焼きをしています。田をうなっています。牛に食わせる草を刈っています。家にはいません。

 では、昔ばなしに出てくる男の子はどんな子どもだったでしょうか。
 一番多いのは、生意気で、誰の言うこともきかない子です。
 次に多いのは、泣き虫。すぐに泣いてしまい手がつけられません。
 三番目に多いのは、なまけ者。ずるをして働こうとしません。
 やがて、生意気、泣き虫、なまけ者たちは、旅に出たり、凶作に打ちのめされたり、化け物と戦ったり、人にだまされたり、人に助けられたりします。
 様々な経験をして、生意気は知恵の大切さを知ります。泣き虫は優しい心配りが備わります。なまけ者には何者もおそれぬ度胸が宿るようになります。
 そして、若者になった彼らは、働きものの嫁をもらって、おじいさんとおばあさんとしあわせに暮したんだとさ。結びはこうなります。
 昔ばなしは、年寄りが子どもたちに聞かせるものでした。鍬がしらの若夫婦を野良に出し、家を守りながら幼子たちを並べて、昔ばなしをしていました。
 生意気、泣き虫、なまけ者。この三つの“な”は、三つなとして、みんなになったとも言われています。
 みんな誰もが持っている欠点を克服してくれるよう。子どもたちが一人前になってくれるよう。嫁をもらって一緒に住んでくれるよう。そう願いを込めたのでしょう。自分たちの体験や生きてゆく上での訓戒を昔ばなしに織り込んで…。
 次代を担う子どもたちの道徳は、おじいさんとおばあさんによって培われていたのかも知れません。

平成24年9月
敬老の日をまえにして

 

8月

武将と山吹の花

 江戸城を構築した太田道灌(どうかん)という優れた武将がおりました。
ある日、彼は山へ狩りに出かけましたが。思わぬ不猟でした。しかも、折悪しく雨が降り出したので、近くにあった農家に駆け込んで、みのを貸してもらいたいとたのみました。
すると、一人の娘が出てきて、一枝の山吹の花を盆に載せて、だまって差し出したので、さすがの道灌もすっかり怒って、
「わしは、みのを貸してほしいのだ。それなのに花などを差し出して何とふざけた娘だ!」
とその場を立ち去ってしまった。
だが、あの時、どうして娘が、花を差し出したのか不思議でならず、道灌は親しい友人にそのことを話すと、友人は、感心して言った。
「七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞ悲しき。という古い歌がある。お貸ししたい心はやまやまだが、みのひとつさえないのが悲しいと、山吹の花に心を託したものにちがいない」
それを聞いた道灌は、武将として「武」一点張りで「文」をないがしろにしてきたために、娘のゆかしい振る舞いに気付かず、腹を立てた自分の愚かさを深く恥じ、それからは、歌道にも精進したという。
改めて、道灌という武将はたりないものに気付き、素直に、謙虚に受け入れたという点で優れていると思えるのです。
考えてみると、私たちはたりないものばかりです。ある人は、自分でそれを補い、ある人は、他人に補ってもらいます。
町づくりも、町に住む人々が、それぞれの知恵と力を出し、補い合って進めてゆくものでありましょう。

参考資料 人間山脈
甲冑をつけて武将を偲ぶ夏

 

7月

希望

 降り続いた雨があがると、陽がさしてきて虹がかかります。
その七色の輝きと彩り、そして輪郭。地平をはってゆく透明な息吹。古今東西、人々は虹の姿に希望を重ねてきました。
苦しみや悲しみの後にも、素晴らしい明日があるように。
虹のことを英語でレイン・ボー。レインは雨。ボーは弓。雨が導く弓とでもいうのでしょうか。
いにしえより、人々は、虹という大きく輝く弓に、希望という矢をつがえて放ってきたのです。
一の矢がはずれたら、二の矢を放て。二の矢がはずれたら三の矢を放てばよい。
降り続いた雨があがると、陽がさしてきて虹がかかります。希望の矢をつがえる虹が…。

 

感謝

 私たちは、この世に生まれ、多くの人と出会います。
あるときは人を疑い、あるときは人を恨み、あるときは人を遠ざけもします。
そして、いろいろなことがあって、やっと、その人の良さに気付いたとき、私たちはまるで、雨上がりの虹を見つけたような気持になります。
けれど、虹の輝きや色合いに気付く間もなく、虹は消え去ってしまいます。
人の素晴らしさ、有り難さ、大切さに気付いたとき、既に別れのときを迎えていることが少なくないものです。
雨上がりの虹は忘れかけていた人への感謝の心を、私たちに投げかけてくるようです。

 虹は希望であり、感謝だと思うのです。幼子であっても、若くとも、老いていたとしても…。
だれにでも…。

平成24年 さみだれの季節に

 

6月

ダルビッシュより早く

 みなさ~ん。ようこそ。
 みちのくへ。宮城へ。川崎町へ。アラバキの大地へ。ようこそ。
 この地でダルビッシュが、荒川静香が、宮里藍が青春時代を過ごし、世界へ飛び出して行ったのです。彼らは、この地で育まれ、鍛えられ、力をつけたのです。
 けれど、最初に、このアラバキの大地を蹴って、海外に雄飛したのは、この町ゆかりの支倉常長という男でした。常長は400年前、伊達政宗公の命を受け、はるばるスペイン・ローマを目指し、荒海へ船出していったのです。
 申し遅れました。私は川崎町の町長の小山でございます。この衣装は常長の正装です。美しい絹を使い、金銀による鳥獣草火の刺しゅうがなされております。つらく厳しく苦しかったであろう旅路の果てに、常長はそこで何を見て何を感じたのでありましょうか。
 つらく厳しく苦しかった東日本の大震災。皆さまには大変お世話になり、感謝と御礼を申し上げます。
 さて、アラバキとは、1200年前、この東北において勢力を伸ばし平和と東北の尊厳を守るために君臨した部族の名前だと聞いております。
 アラバキのロックなスタンスとロックから生まれるエネルギーが、川崎町から、みちのくの大地を満たそうとしています。
 鎮魂と望郷大地を、復興と再生の大地へと構築してゆかねばなりません。支倉常長がダルビッシュが歴史を紡いだように、皆さんが、みちのくの復興に熱と希望を織り込むことになるでしょう。コンサートの成功をお祈り申し上げます。 

4月28日 アラバキロックコンサートオープニング 挨拶

 

5月 

青春の門

 蔵王から吹いてくる風が、いつの間にか穏やかになり、川崎の大地も、春の息吹に包まれています。
 新入生の皆さん。父兄の皆さん。入学おめでとうございます。
 40年前、私は高校生でした。そのとき「青春の門」という本に出会いました。「週刊現代」に連載されたこの小説は、6部が終了するまで10年を要することとなります。
 誰もが一度は通り過ぎる。しかし、唯一度しか通ることの許されぬ青春の門。主人公、伊吹信介。多くの人々との出逢い、そして別れ。その中で目覚めてゆく愛と性。人生の希望を雄大な構想の下に描く大河小説。
 この小説には、次の言葉が繰り返し繰り返し、出てきます。
 「馬鹿も利口も命はひとつ。」
 高校から10年間、ずっと失敗続きで人前で話せることなど何もない私ですが、この言葉の意味は、人の一生は、たった一度しかないこと。弱いものを見くびって、いじめてはならないこと。
 小説を読んで感じました。
 10年間で、1800万を超える巨大な部数が読者の手にわたり、日本の青春文学として圧倒的な地位を築いた小説に、この言葉はさざめく波のように何度も打ち寄せてくるのです。
 「馬鹿も利口も命はひとつ。」
 人生はたった一度しかないこと。弱いものを見くびって、いじめてはならないこと。
 主人公、伊吹信介。作者、五木寛之は、そのことを私たちに伝えたかったのだと思っています。
 いつの日か、皆さんが社会人となり、親となり、地域人となって、この町を、この国を支えてゆくことになります。
 川崎の大地を包み込む春の息吹のような爽やかさと、多くの可能性をもった川崎校の皆さんに期待します。青春の門の入口にいる皆さんに…。

4月10日 柴田農林高等学校川崎校 入学式 祝辞

 

4月

夢と祈り

 人がほかの生き物と違うところは、何でしょうか。
 ある人は言いました。
 人は夢をもつ。人は祈る。
 “夢をもつこと、祈ること”この二つは、ほかの生き物にはないというのです。確かに私たちは子どものころ、いつも夢をもっていました。
 そして、大人になり、好きな人ができると、夢をもつことよりいつの間にか祈っていました。
 その祈りとは、一体どんなものだったでしょう。
 それは、赤ん坊が無事に産まれてくれますように。赤ん坊の熱が下がってくれますように。子どもが毎日、学校に行ってくれますように。子どもが人並みに学校を卒業してくれますように…。
 そういった我が子への祈りではなかったでしょうか。
 私たちは、かすかな光のもとで努力を続けなければなりません。
 来る年も来る年も、希望の中に微笑み、困難の中に忍耐してゆかねばなりません。
そのようにして、子どもたちを育て、親を見取ってゆくことが、当たり前に見えて、どんなに大切で大変なことなのか、親になって初めて気付くのではないでしょうか。
卒業生の保護者の皆さん。本日は誠におめでとうございます。

 卒業生、在校生の皆さん。皆さんの将来には、夢と祈りが、喜びと悲しみが、両手を広げて待っています。
 それは、誰にでもあり、誰にでもあったことです。
 この世に生まれ、この川崎の大地でふれあい、そして、いつかは去っていかねばならない、同じ運命の私たち。
 ともに努力してゆこうではありませんか。
 夢をもち、ときには祈り。
 ともに努力してゆこうではありませんか。
 幸福が私たち一人ひとりに降り注いでくれるようにと祈りながら…。

3月10日 川崎中学校卒業式 祝辞

 

3月  

青春のきら星たち

 先日、川崎町を会場に仙南青年文化祭が挙行されました。青年たちが様々な活動を発表し、交流を深めあったようです。
 思えば、私は30年前、青年団活動の真っただ中にありました。当時は、弁論・演劇・合唱・器楽演奏・郷土芸能の部に各市町代表が県大会を目指して競ったのです。
 最初の年は弁論で優勝させていただき、次の年からは演劇の脚本を担当していました。
 3月の仙南大会に向け、12月から公民館で部門ごとに練習しました。特に演劇は、脚本の直しや演出の仕方で議論がつきものでした。仕事の忙しさ、疲れから喧嘩(けんか)することもありました。
 ある晩、練習が終わって公民館を出ると冷たい北風寒さに震えながら、ふと天上を見ると、満天の星たち。寒風が吹きすさび、しばれが厳しいほど、天上の星たちは輝きを増すものなのだろうか。
 星は言葉をしゃべれない。けれど、冷たい夜空で一生懸命、輝いている。私たちもそうだ。仕事がつらかったり、貧しかったり、現実は厳しく悲しいことばかり。だからこそ、苦しくとも、あきらめないで頑張ろう。
そうだ! 今、自分たちがやっている活動を演劇にしよう!
 冷たい夜空で輝いている星たちは、まさに自分たちそのもの。
あとは一気呵成、三日三晩で新作を書き上げました。

「青春のきら星たち」

 仙南大会、県大会で絶賛を浴びる作品をなりました。すべては仲間のおかげでした。

 いつの時代も、青年は“きら星”。今回の文化祭開催のために、地元の青年たちは多くの時間と議論と苦労を必要としたことでしょう。
川崎町のきら星たち。青春のきら星たち。ご苦労さまでした。

 

2月

誕生日と成人式

 成人したみなさんの中に、私の息子もおります。ちょうど20年前の1月生まれです。
息子が生まれて1カ月後の検診に仙台の病院に行ったときのことです。廊下
で妻と順番を待っていますと、60歳を過ぎた男性が赤ちゃんを抱いて何やら看護師さんと話をしています。
私は、男性が若い女性との間に子どもをつくったのだ、と思い看護師さんに何気なく聞きました。
すると、男性の娘さんが出産の際、出血多量で死亡したこと。残された赤ちゃんを年老いた夫婦で育てていること。孫娘が成人になるまで夫婦とも元気でいなければならない、と言っていることを知ったのです。
いつの時代も、医学の進んだ現代でも、母親は命を懸けて、赤ちゃんを出産するのです。母子ともに命を懸けて出産に臨むわけです。
誕生日は、皆さんを生んだ日です。
あの時の女の赤ちゃんも成人式に出席していると思います。皆さんと同じようにきれいな着物を身につけて…。
 私たちは、この世の中に生まれてきました。人生はただ一回です。喜び・感激・悲しみ・苦しみを味わい、多くの体験をするのが人生です。私たちは、与えられた一度の人生を、与えられた時間をいかに使うかを、試されているのではないでしょうか。
 一人ひとりが最善を尽くし豊かな人生を歩んでくださることを願っております。

 みなさん、本当におめでとう。そして、帰ったら、皆さんを今日まで育ててくれた家族に、ありがとう、の一言を。

1月8日 成人式
新成人103人のうち出席者を前にして