12月
歴史の中に真実を学び 自然の中に愛をくみとる
 
人は生かして使ってこそ財産なのだ 
 これは、NHK大河ドラマの主人公、黒田官兵衛の言葉です。
 戦乱が続く中、織田信長、豊臣秀吉との出会いが、彼の人生を大きく変えていきますが、一方で相次ぐ戦いの中で、多くの家臣を失い、いつしか官兵衛は「人は生かして使ってこそ財産」と考えるようになります。
 「人は必ず死ぬ。死があればこそ命は重く、尊い。私は、命の重みをかみしめ、人々と力強く生き抜いていくのだ。人こそ宝ぞ。見聞を広めなければ」彼は人を裏切らない誠実さが人の心を動かす、という信念のもと生きることとなります。
 人を生かす、人を活かすことほど難しいことはない、と言われますが地域に活力を生みだすには、やはり町の職員の働きが重要で、計り知れないエネルギーになることを、誰もが認めている昨今です。
 おりしも、川崎町は限られている人員から、3人の職員を町外に派遣して います。一人は仙南広域事務組合の滞納整理課長として。一人は後期高齢者医療連合に。もう一人は津波で大きな被害を受けた山元町の災害復興支援の最前線 に。いずれも町の名を背負って、孤独であり、重責です。しかし、見聞を広め、人脈を築き経験を積んで帰ってくるでありましょう。
 また、二人が無事、出産をへて役場に戻ってくれました。今、育児休業にある人は4人です。おめでたがこのように続くのは、久方ぶりです。
あらためて、心から御祝いを申し上げます。人こそ宝。
 若手も少しずつ成長しています。一人前になるには、時間と経験と先輩方からの指導も必要です。長い目で見ていただきたく思います。
 ベテランも忘れてはいけません。
職員数の推移
平成23年4月  170人
       24年4月  173人
       25年4月  172人
          26年10月  173人+4
(※4人は再任用制度)
 今年度から、退職されても希望すれば、一年間、再び職員として雇用される制度ができました。再任用です。
 おかげで、4人の経験豊富な人材を戦力として数えることができました。

  このように、現在、177人の川崎町の職員は、町内外に働き、出産の時を待っています。

 人こそ宝。職員だけではありません。委託・嘱託・臨時の人が脇を固めています。心強い限りです。
 特に他の市町村と異なるところは町立病院に43人、こども園関係に25人。合わせて68人。職員の40%ちかい人員を充てていることです。町民のみなさんの健康を守り、子育て支援をするための人員配置です。
 健康を守るといえば、ストレスをかかえ、たばこを吸う回数が増えている職員がおりました。タバコの吸い過ぎは、勿論、病気の元です。そこで、10月より喫煙時間を午前10時と午後3時から、それぞれ15分間としました。職員には好評です。
 健康が一番。お互い、元気に働きたいものです。
 
意見ではなく異見せよ 
 さて、大河ドラマ軍師官兵衛も終わりに近づいていますが、晩年の彼の口癖は「意見ではなく異見せよ」でした。家臣たちの全体会議を開きその意見を吸収して政策を決めていたのですが、少数派の異見にもモノの道理、事実が隠されていることを官兵衛は知っていたからでしょう。
 今、役場では、職員から企画案を出してもらったり、多くの職員が一堂に会して、意見を述べる試みを始めています。
 人こそ宝。そして…歳月、人を待たず。年月はいつのまにか流れてゆくものです。外は師走の風。今年も残すところ、あとわずか…。
 みなさん、お体を大切に。また、お会いしましょう。
11月

学べること

▲公開授業で川校生に講話する小山町長

 
NHKの朝のドラマ「花子とアン」が大人気で終了しました。山梨の貧しい農家に生まれながらも、明日を信じ夢見る力を信じて生きた花子。 
「ごきげんよう」の言葉とともに日本中に、多くの感動をいざなってくれましたが、私が最も印象に残っている場面は、花子が通っていた女学校の卒業式での校長先生のスピーチでした。


「私の愛する生徒たちよ、我とともに老いよ。最上のものは、なお後に来る。今から何十年後、あなた方が、この学校生活を想い出して、『あの時代が一番幸せ だった。楽しかった』と心の底から感じるのなら、私はこの学校の教育が失敗だったと言わなければなりません。人生は進歩です。若い時代は準備の時であり、 最上のものは過去にあるのではなく将来にあります。旅路の最後まで希望と理想を持ち続けて生きていくことを願っています。」


過去にこだわらず、未来に向かって努力してゆくこと。また、そのためにも、学校生活で得たものを土台に自分の幸せを掴みとってほしいという校長先生の思いは、教育の大切さとありがたさ、教育の可能性を私たちに知らしめるものでした。
 
○平成25年度予算における教育費の割合

 


白石市


角田市


蔵王町


七ヶ宿町


大河原町


村田町


柴田町


川崎町


丸森町

 
教育費の
割   合

8.1% 13.1% 14.3% 6.9% 11.0% 9.2% 9.9% 15.3% 5.4%

 

○教育関連予算(7億2,660万円)のうち主なもの
小学校関係         8,815万円 こども園運営     2億6,390万円   公民館・分館    1,900万円
(スクールバス含む    2,280万円) 幼稚園費              2,600万円   学校給食      8,100万円
中学校関係        5,625万円 児童教室               3,770万円   社会教育関係  7,170万円
子育て支援センター   1,520万円 海洋センター             2,650万円   保健体育関係  1,847万円

 

ところで上の表を見てください。
川崎町は、他の市町村に比べて教育関係の予算を多くとっています。
子ども園は勿論、すべての小学校に放課後児童教室を設けて、親御さんが安心して働けるようにしました。
こども園の料金は、仙南で一番低く抑えています。子育て支援のために続けていこうと思います。
また、学校給食は質・量・値ともバランスが取れていて好評です。
公民館、海洋センター事業も内容が充実して参加者も増えています。
かつてアメリカの政治家、ベンジャミン・フランクリンは言いました。
「知恵への投資は常に最高の利息がついてくる」と。
少子化で小学校を閉校せざるをえなかった地域がありました。けれど子供たちは明るく元気に、スクールバスに乗り込みます。
様々な課題があっても、子育てを人づくりを教育を、町づくりの要諦に掲げて前進して行かねばと思っています。
学んでいる子供たちの姿は、私たちの希望であり願いであり矜持(きょうじ)なのですから。
ごきげんよう。さようなら…。
 

10月

 
さだまさしコンサート(1984.11.4 川崎中学校体育館)

構想から3年、ついに実現。苦楽をともした川崎町青年団の仲間たちと
いつの時代も若者たちは輝いている。
1,200人の観客を集め、笑いと優しさと涙と愛の3時間であった。
コンサート直前、控室にて  最前列中央がさだ氏  2列目左はじが小山町長


若者たち

 町のどまん中で夏祭りをしたい。長い間、途絶えていた盆踊りを。子供たち、帰省した仲間や親戚、そして先祖の霊を迎えて。故郷の夜空の下、みんなで輪になって楽しみたい。
 それは誰がやれるんだろう?
そうだ俺たちだ。若者たちは立ち上がりました。結果は、・・・大成功。
 町地区に夏祭りが復活して2年。いつの時代も若者たちの情熱は素晴らしいものです。私は思わず、口ずさんでいました。
 
 君の行く道は 果てしなく遠い
 だのになぜ 歯をくいしばり
 君は行くのか そんなにしてまで
 
 君の行く道は 希望へと続く
 空にまた 陽がのぼるとき
 若者はまた 歩きはじめる

 町に活気を呼びこもう。映画会をやろう。駅伝大会をやろう。演劇をやろう。レクリエーション大会をやろう。ほかの町と交流会をやろう。コンサートをして町の人たちに素晴らしい歌をきいてもらおう。そして…。駆けずり回ること3年。夢を実現したのです。
 あれから30年。仲間たちは、それぞれの道を歩いています。
 この町に暮らす友。町を離れた友。亡くなった友。健康な友。病気と闘う友。家族を失った友。仕事に追われる友。孫を抱く友。独身の友。
 川崎の大地で、町に活気を呼びこもう、と走り回った仲間たち。
 一人では何もできない。だけど、一人一人が協力すれば、何かができる。仲間に感謝、人に感謝、故郷に感謝、夢に感謝、出逢いに感謝。
 先日、30年ぶりに「さだまさし」さんと再開。彼は言いました。 
 「小山さん。あの時は苦労されましたね。でも、そういった積み重ねが、あなたを町長に押し上げたんでしょうね。期待していますよ」


フリーダム青空コンサート 
2014.8.23 みちのく公園、風の草原にて
12,000人の観客を前にさだまさし愛を歌う
小山町長 オープニング挨拶
30年の月日をこえて再会                
                                               

                                          

9月

人々のために努力をいとわず

▲8月4日、支倉川下流改修について土木事務所長と (右から2人目)

知恵という名の書物の第一章は、正直である


   この言葉は、第3代アメリカ大統領、トーマス・ジェファーソンによるものです。
   目標実現のためには、誠実な対応を心掛け、決してあきらめてはいけないという意味なのでしょう。
   さて、私が町長に就任したのは東日本大震災から5ヶ月後、平成23年8月末でした。当初は、できるだけ早く元の生活環境に戻すべく職員一丸となって復旧・ 復興に取り組んだ結果、2年の月日と約11億円という予算を費やして、難工事の数々を完了することができました。 

   この間、町民の皆さまには多大なるご迷惑をお掛けし、お詫び申し上げるとともに、ご尽力いただいたすべての方々に感謝申し上げます。
   しかしながら、復旧工事とは別に、着手しなければならない課題が山積していたのも事実です。
   例えば、6年前から請願されていた古関地区の歩道の設置。古関橋上流の河岸復旧も手つかずでした。例えば、氾濫を経験した支倉川山崎橋下流の改修の件。例えば、多年の懸案だった蟹沢用水の新町付近の整備。
   例えば、傷みがひどい釜房大橋から小野に至る国道の補修。例えば…。
   これらは、県や国に要望して予算を確保し進めてゆく事業です。
   私は町長として、窓口となる大河原土木事務所にたびたび顔を出します。要望活動です。
   こちらは、現状を説明する、あちらも県の台所事情を説明する。少しでも希望の見い出せる答えを願う。
   たとえ、期待した答えが出ずとも目標実現のためには、誠実な対応を心掛け、決してあきらめてはいけないということも肝に銘じています。
   また、時間をおいて参上し、正直に要望を述べるものです。この繰り返しから、各事業とも測量がなされたり着工したり進展しているものです。
   ただ、残念なことは、お互いの実情を述べあい、事業が動きだすころに別れがやってくることです。
   私が町長に就任して丸3年。大河原土木事務所長さんは3人目です。
   正直、もっとじっくりとお付合いしたいものです。彼らもまた、人々のために努力をいとわないからです。

8月

歴史の中に真実を学び自然の中に愛をくみとる。

 川崎町の歴史と文化を知ってもらおうと、公開講演会「川崎のほこり」が7月5日、山村開発センターで開催されました。町内外から集まった参加者約250人は、熱心に先生方の話を聴き、活発に質問をしていました。歴史好きには最高の企画だったようです。

 午後1時、開会30分まえ。どんどん人が入ってくる。メモが取れるようにと用意したテーブルに、ノートやメガネが置かれ、席はあっという間にうまっていきます。
  あわてて並べたイスも満席となり配布資料もなくなってしまいました。急遽、資料のコピー。担当は大忙し。
  うれしい悲鳴とはこのことを言うのでしょう。びっしりと会場は参加者で一杯となり、熱気を感じます。
  まず、宮城学院女子大学学長の平川新(あらた)氏の挨拶。氏は御存知、河北新報の特集、伊達政宗の夢を執筆されるなど、支倉常長の研究では有名な方で、歴史ファンにとって必見の人物なのです。すごい。
  つづいては私、町長の歓迎の言葉。そして、仙台市史編纂室長、菅野正道氏の講演となったわけであります。
  「笹谷街道沿線の戦国志~砂金氏の動向を中心」という演題で、今から約400年前、本城を居城に、伊達政宗と対峙する山形の最上義光を睨み前川城を築いた 砂金氏について話をされました。砂金氏は戦上手で城造りの名手、政宗の信頼も厚い男だったのです。講演前に、実際に本城遺跡を歩いた参加者も多く、皆さん 熱心にメモをしていました。

 ▲さまざまな視点からの質問がつづく。熱気ムンムン。

   
 ▲県外から来た人もいるとのこと、期待がふくらむ  ▲江戸時代の旅行ガイド。青根温泉がのっています。

 



上左 大宮金治文化財保護委員長、かねてから本城遺跡の整備
         に尽力。閉会の挨拶にも熱がこもる。

上右 本城遺跡を歩く参加者。その大きさと見事さに驚く。砂
         金氏の財力はどこからきたのか?

中左 青根には華やかな歴史の裏に、地域の人々の地道な努力
         があったようだ・・・髙橋陽一氏
中右 小山町長 「歴史のなかに・・・」

下左 豪華な講師陣。資料・内容とも充実した講話に参加者か
         らは、毎年の開催を望む声、多数。
 

次に「江戸時代の青根温泉~湯守佐藤仁右衛門家の古文書から」というテーマで東北大学東北アジア研究センターの高橋陽一氏の講演の講演です。
江戸時代の古文書から、青根温泉の運営や共同浴場の様子、宿屋の日常まで分かるというのです。特に驚かされたのは、今から200年前に発行された全国版の旅行ガイドブックに青根の名が、はっきりと出ていることです。名湯の誉れ高く集客力も抜群だったとのこと。
あらためて今回の講演会、すばらしい内容でした。
支倉常長がヨーロッパをめざしていたころ、砂金氏が政宗の指揮のおと軍馬を進め、青根の湯守、佐藤善右衛門は、仙台藩内12カ所の温泉を統括する役割を担っていたのです。
“人材と木材は山からでる”
私たちは歴史の中に真実を学び私たちを育んでくれた自然の中に、愛をくみとっていくものではないでしょうか。結びに講演会を開催するにあたり御尽力いただいた総べての方々に感謝を申し上げ、町長がゆく、この巻の筆を置きます。
7月

 

みちのく公園全面開園

中央が小山町、左は三浦副知事。
井上義久衆議院議員。元気な子どもたちに囲まれて。

 
 国営みちのく公園の全面開園を祝う式典が6月8日、新たに完成した里山地区の「小野分校」にて開催。
 こども園の園児を含む約200人が、公園の完成を喜びました。
 県内の市町村長や議長ら錚々たる人々が出席したのは、この事業が470億円という国費を投入したものであり、宮城の観光の柱になりえるものだからでしょう。
 式典では、国土交通副大臣の挨拶から、名だたる国会議員の先生、副知事、そして、私が地元の町長として結びの祝辞を述べると、ほどなくテープカット。子どもたちは、風船を飛ばし、会場は拍手と歓声につつまれました。祝辞は次のとおり。
 
 今から、139年前、明治8年10月、この地に柴田郡小野村立小野小学校が開校しました。そして、昭和43年3月、川崎小学校小野分校として閉校するまで、93年の長い間、実に多くの人材を輩出いたしました。
 その後、校舎は公民館として昭和61年まで使用され、ある時は、血気盛んな青年団の酒盛りの場であり、ある時は、伝統の田植え踊りの練習の場でもありました。
 まさに、子ども達をはぐくみ、青年達を活気づけ、踊り子達が額に汗し、大人達が故郷を支えるために集まった交流の場でありました。
 建物が解体されて28年。
このたび、地域交流館「小野分校」として復活したわけであります。
 同時に、みちのく湖畔公園の全面開園、誠におめでとうございます。
 昭和56年の事業採択から33年。
長い時間と大きな予算と多くの人々の知恵と汗を必要としたわけであります。現在の関係者の方々はもちろん、先人は、長い年月をかけて様々な事業に取り組んできました。
 今、私達は、その苦労をび、その恩恵に浴することに感謝したいと思っております。 むすびに、このすばらしい里山地区をはじめ、広大なみちのく公園が萌えいづる緑と鮮やかな花々と、そして、なにより人々の明るい笑顔で満ちあふれんことを願って、地元の町長の祝辞といたします。
常長まつり中止

 
多くのみなさんが楽しみにし、多くのみなさんに御協力いただいて準備しておりました常長まつりを、天候が悪く中止としました。

本当に残念です。今回は、初の2日間のイベント。幅広い年代が楽しめるメニューを盛りだくさん用意していたので・・関係者はみんながっくり。来年こそ、すばらしい天気をと神に祈ります。
追伸。私も2度、TBCラジオに出演して、まつりをピーアールしました。何でも勉強、経験です。
 
 

 

 

6月

 若者たち

 4月2627日、アラバキロックフェスティバルが、エコキャンプみちのくにて開催され、2日間で全国から5万人の人々が来場しました。
 両日とも晴天。風、いささかもなし。かなたには、雪をいただく蔵王の山々。湖畔に目をやれば、春爛漫の桜の花。最高の舞台あい整う。
 当町からは、川崎中学校吹奏楽部と川内太鼓が出演しました。
 ホープ(希望・期待をかけられる人)として、最初にステージにあがったのが吹奏楽部のメンバー。
 広い会場、多くの観客を前に臆することなく、すばらしい演奏をしてくれました。まさにホープそのもの。
 川内太鼓が鳴り響いたのは2日目の朝。小さな滴が、せせらぎとなり川となって大海にそそぎこむ。地元、太郎川の清流をイメージして創作された「大地礼讃」が総勢15名によって披露されると、拍手と歓声が熱気に変わりました。
 また、会場には地元川崎町のブースが設けられ、名物のけんちんそば川崎牛串、イワナの塩焼、玉こんにゃく、キムチ、冷しきゅうりなどが飛ぶように売れていました。
 毎年、ここに立ちよる人々も多く川崎の味が、アラバキを代表するものとして、評判をよんでいます。
加えて、川崎町観光協会が作ったアラバキタオル。白地に赤で歌舞伎調のイラストが、おしゃれにプリントされており、記念品として買ってゆく人、すぐ首にまきつける人、初日から人気商品となりました。
 もちろん、ここでも支倉常長武将隊とチョコえもんは大活躍。川崎町のブースへの呼びこみ、記念撮影に応じたと思えば、今度はカメラを渡されて写す側に。休む間もなし人気者。
 人、人、人。ステージに立つ人も声援を送る人も、裏方のスタッフも警備をする人も、売り子さんも、駐車場の人も、みんなが汗だくだくで動き回り、声をかけあいました。
 この間、町民のみなさまには、様々な面で、御不便や御迷惑を、おかけしたこと、主催者にかわり心よりお詫び申し上げます。
みなさん、お疲れさまでした。
若者たちは、このイベントを心まちに勉強し働いているようです。川崎の自然にいだかれ、感謝と思い出を胸に家路に着きます。彼らのつぶやきを紹介して結びとします。
「川 崎町の人々に感謝します。お世話さまっす。川崎町に行くのが楽しみ。本当、楽しすぎてやばい。いい所だわ。すごくいい町だと思う。素敵なイベントを受け入 れてくれてありがとう。なんか分からないけど涙が出てきた。地元の人のご協力とご理解があって、あんな空間にいれたと思うとアタイ心から感謝。何か凄い心 にきた。みんなで胸熱」
5月

みんなが新人の気持ちで
 

   川崎町の辞令交付式が4月1日行われました。
小山修作町長は、次のようにあいさつしました。
 
東日本大震災以来、行政のもつ役割、人材、予算すべてが、注目され、期待さ
れ、チェックされています。そのような中、14名を採用し、さらに、少なからぬ
人事異動を行いました。
思いがけない職場に配属され、こんなはずではなかった、と思っている人がい
るかもしれません。
しかし、なすべき仕事と勉強すべき材料は無限であります。
どの仕事も厳しく、その仕事も、誰かがやらねばならないものです。
なくてはならない仕事です。
 
 また、限られた人員の中で3名を町外に派遣することとしました。
町の名を背負って、孤独であり、重責でありましょう。が、それに耐えられる力
量のある者を、自信をもって選考しました。
 
 新規に採用された職員は、勿論、不安で緊張をしていることでありましょう。
けれど、本来、緊張し、びしっと、襟を正すべきは、町長をはじめ、新人を受け
いれる立場にあるものです。
 我々も、初めて役場に入ってきた日を思い出し、初心の気持ちを大切にし、新
人の気持ちになって仕事にとりくもうではありませんか。
 
 異動のあるなしにかかわらず、町長はじめ、職員すべてが、春風の中に、職責
の大きさを自覚し、新人になったつもりで、町民のみなさまのために、あらため
て、町民のみなさまの視点に立って、努力してゆこうではありませんか。
 
 与えられた信頼に感謝し、目の前にある仕事に謙虚に臨んでまいりましょう。
そして、平成26年度をきり開いてゆこうではありませんか。
 
 それが、私たちの務めなのですから・・・。

 

4月 


 
 
夢と祈りをもって
努力していけば
道はひらけるはず

 
夢と祈り
人が、ほかの生き物とちがうところは、何でしょうか。
人がほかの生き物とちがうところ。
 ある人が言いました。
“人は夢をもつ” “人は祈る”
夢をもつこと。祈ること。
このふたつは、ほかの生き物には、ないというのです。
 確かに、私たちは生まれて大きくなるとき、いつも、夢をもっていました。そして、大人になって、好きな人ができて、結婚し、子供ができ忙しくなってくると、私たちは、夢をもつことより、いつのまにか、祈っていました。
 その祈りとは、一体どんな祈りだったでしょうか。
 それは・・・
 赤ちゃんが無事に生まれてきますように・・・。
 赤ちゃんの熱が下がってくれますように・・・。
 子供が学校でみんなとうまくやっていけますように・・・。
子供が人並みに学校を卒業してくれますように・・・。
 
そういった我が子への祈りではなかったでしょうか。
 
私たちの人生は、かすかなあかりのもとで努力を続けなければなりません。来る年も来る年も、希望のなかに微笑み、困難のなかに、忍耐してゆかなければなりません。
そのようにして、子供たちを育て親を看取ってゆくことが、あたりまえに見えて、どんなに大変で苦労の多いことなのか。親になって、初めて気づくのではないでしょうか。
 
卒業生の保護者のみなさん。
本日は、誠におめでとうございます。
 
 卒業生のみなさん。
 在校生のみなさん。
みなさんの将来には、夢や喜びが、失敗や悲しみが、両手を拡げて、待っています。
 それは、誰にでもあり、誰にでもあったことです。
 この世に生まれ、この川崎の大地でふれあい、そして、いつかは去っていかなければならない。同じ運命の私たち。
 
 ともに生きてゆこうではまりませんか。夢をもち、ときには祈り、ともに努力してゆこうではありませんか。
 しあわせが、私たちひとりひとりに、降りそそいでくれるようにと、祈りながら・・・。
 
 最後になりましたが、この町を支え、この川崎中学校を支えてきた、多くの先輩方、多くの先生方・・・
そして、来賓の方々に、お礼の気持ちをこめて祝辞とします。
 

 

 

3月

 

志教育フォーラム
研究の成果を発表!! 
 2月10日、山村開発センターを会場に教育実践発表会が開催されました。
町内外から関係者約400人が参加。柴田農林川崎校生徒の「川崎町に生まれ育まれたことを誇りにし、社会に貢献したい。」という言葉は、参加者の心に響き、大きな拍手が贈られていました。
 
 

志(こころざし)

    記録的大雪の中、ようこそ川崎町へおいで下さいました。
 川崎町長の小山修作でございます。心よりみなさまを歓迎いたします。
 今年は、世界で最も有名なイギリスの劇作家シェークスピアが生まれて450年だそうです。シェークスピアは、その52年の生涯で、36篇の戯曲、すなわち演劇の台本を残しておりますが、最後に書いた作品は、テンペストという物語でした。
 テンペストとは「嵐」という意味ですが、この作品の中に次のような台詞(せりふ)があります。

「成し遂げようとした志を、ただ一度の敗北によって捨ててはならぬ」

 いつの時代も、いかなる人も、志をもって努力することが大切だと彼は言っているのでしょう。
 シェークスピアの作品の特徴は、卓越した人間描写にあり、発表時から高い評価を得ており、現代においても好評を博しているものです。
 そして、その台詞のひとつひとつは、私たちの心の中に深く入ってくるものです。
志をもつとは、夢や希望をもつということです。夢や希望を実現するために努力をしなさい、とシェークスピアは、人にも自分自身にも語りかけたかったのでしょう。
 さて今年度、川崎町は宮城県教育委員会から、志教育研究の指定を受けました。そして、私どもの川崎町が取り組んだ事業は、生まれてから18年。そうです、町内の幼稚園、こども園、小学校、中学校、高校、すべての教育機関が関わるものとなりました。
 特に、世代の違う児童・生徒の交流や地域住民のみなさんとのふれあい、自然体験などは、正に川崎町の風土や環境、地域性を生かしたものとなっております。
 本日は、これまで取り組んできた志教育のほんの一部ではございますが、発表させていただきます。
 みなさまの仕事や活動のお役に立てば幸いであります。
 むすびに、この事業にたずさわったすべての方々に心より感謝申し上げ私の挨拶といたします。
 本日は、雪の中、遠いところ御出席を賜り本当にありがとうございました。

 ▲オープニングをかざった川小太鼓

 

2月

高校生スピーチコンテスト最優秀賞!
川崎校から2年連続の快挙!!

 

 昨年10月、2013高校生スピーチコンテストが東北文化学園大学で開催され、柴田農林高校川崎校1年生の森奈津美さんが、見事、最優秀賞を獲得しました。
このコンテストでは、昨年も川校生がトップ。川校生のスピーチ力は、すばらしい。

 
 

 「笑顔と絆、そして未来へ」という題で森さんは発表をされました。
 震災時に学んだ、命の尊さと助け合いの精神の大切さから、
「保育士になるという夢を叶えたい。そして、子供たちの笑顔を守っていきたい。笑顔を守り育てることが、私にとっての復興です」
と結んでいます。
 
町長 「本番にむけてどのような練習をされましたか?」
森  「先生の御指導を受け、何度も体育館で声に出しました。原稿を暗唱し、聴衆の方々の目を見て、訴えかけるようにしました」
町長 「原稿を見ると、あちこちに、間の取り方や、悲しくとか夢の話なので明るくとか、いろいろな書きこみがありますね」
森  「はい。自分なりに表現を工夫しようと表情にも気をつけるようにしました」
町長 「私も学生や青年団の時代に弁論大会に出場し優勝した経験がありますが、原稿づくりは大変だったでしょう」
森  「大会当日まで、聴く人にわかってもらえるよう言葉を選びながら、原稿に手を加えました。ぎりぎりまで・・」
町長 「担当の先生方は、あなたの発表を見ていて、感動して涙があふれたということです」
森  「優勝できるとは思っていませんでした。ただ、やれることはすべてやって、ベストを尽くそうと思っていました。」
 
村田町から通学している森さん。川崎校は、先生方の御指導が情熱的で、生徒数は少ないけれど、みんな優しく接してくれます、とも語ってくれました。
私は町長に就任してから欠かさず川崎校の弁論大会に出席しています。
草稿を練る、と云われますが、川崎校の生徒の文章力があるからこそスピーチコンテストや弁論大会での上位入賞がある、と思います。
名のある大会で2連覇、論をまたない川校生の実力です。