9月


ふるさと納税の返礼品「一日町長体験」に応募された半沢龍之介さん(40)が、川崎町を訪れました。 『納税のお礼に品物を送るだけでなく、体験をしてもらう。しかも、町長の体験をしていただく。』 この企画、職員のアイデアから実現。マスコミにも取り上げられ、注目度満点。すごいっちゃ!

中国から町内に嫁ぎ外国人相談員も務めている田中麗華さんと意見交換。半沢町長も中国で生まれ育ち大学卒業後、日本に移住。会社員を経験して独立。現在3つの会社を経営。2人とも日本語がとても流暢だ。 夏祭りの花火大会でスピーチ。当日は、町長体験記念の「光るうちわ」を1,000枚用意。お客様に配布しました。「うちわもめのないように?」
視察を兼ねて、イーレ!はせくら王国で昼食。食べていても食材への質問やビジネスのアイデアの話など尽きることがない。
 
工事中のセントメリースキー場サマーゲレンデにも足を伸ばす。暑さなど気にしない。どんどん斜面を登っていく。足腰には自信のある小山町長も、たじたじである。
 
「一日町長に任命します」辞令を読む小山町長。このあと半沢町長は、職員を前にあいさつ。「10年前、現在の技術革新を予想することはできなかった。だからこそ、私たちは新しいことに常に挑戦していかねばなりません。小山町長のもと職員の皆さんが、ひとつになって前向きに進んでいくことを望みます」と堂々のスピーチ。半沢町長は昨年の12月に続いて2度目の町長就任。スピーチの内容も表現力もすばらしく、取材に来ていたテレビ局のメンメンも驚いていました。 8月13日 午前11時30分 役場3階議場にて
8月

子育て支援 手厚く!

「千の蔵より子は宝」
昔の人は言いました。どんなに多くの財宝を持っていても、子は、それに勝る宝だと。この言葉は、世界各国で使われています。
しかし、現代の日本では、「少子化」が最大の社会問題になっています。私は、町議会議員のころから、「我が町は子育て支援をもっと充実させねば」と申し上げてきました。

事を始めるには、自分から
そこで、町長に就任して一期目は35%、二期目の現在は30%、給料をカットし、子育て支援策等に充てています。もちろん、カットした金額は微々たるものですが、町民の皆さんや議会の方々の賛同を得なければ、この政策を推し進めていくことはできないのです。

要望は無限、財源は有限
かつて、役場の総務課長から議員となり議長となった佐々木丈作氏は、総務課長時代に言いました。「議員の皆さん、皆さんの要望は無限でありますが、町の財源は有限であります。一家も同じ、欲しい物すべてを買えば、家はつぶれます。」
限られた財源の中、町では次のような子育て支援策をとっています。一部を紹介してみましょう。

○こども医療費の無償化
高校卒業までの医療費は無償です。

○乳幼児応援助成券の支給
赤ちゃんが誕生したら1歳になるまで毎月、1万円分のおむつなどを購入できる助成券を交付します。

○誕生祝い金の支給
赤ちゃんが誕生すると現金5万円と川崎町商品券5万円を、3人目の場合は30万円を支給します。

○学校給食費
小中学校に通学する児童生徒で兄弟2人目以降の給食費を無償化。

このところ、川崎町に引っ越して来て出産された方、ご家族、その方々の知人たちから言われます。「川崎町は、子育て支援が充実していますね。以前、住んでいた町よりグッド‼もっとアピールしてもいいと思いますよ。町長さん。」この言葉に、町長もグ ッときたところです。

6月 
4月から
タクシー助成券が
使いやすく
なったのっしゃ!
「高齢者や障がいをもっておられる方、運転免許を自主返納された方のための制度です。町民バスは、人々の移動に便利なものですが、より近くまで、より好きな時間に移動できるのがタクシーの魅力。町民バスとタクシーを使い分けて、皆さんに外出していただきたい。友人と乗り合わせて利用するのもいいですね」と話す小山町長。

(公明新聞 4月14日号)

年をとっても外出を

家に閉じこもっていると、誰もが心も体も縮こまってしまいます。外出は気分転換はもちろん、体力を維持するためにも必要なことです。

そこで、川崎町は「年をとっても外出する機会」を増やしてもらおうと、タクシー助成券を利用しやすくしました。広報かわさき4月号でお知らせしましたが、次の3つのいずれかにあてはまり、自動車を持たない方は、ぜひ、申請してください。

①75歳以上で税金を納める程の所得がない方
② 身体障害者手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳を持つ方
③運転免許を自主返納した方

今年度中に利用できる9600円分の助成券を発行いたします。

誰もが年をとります。誰もが運転に自信を持てなくなります。子育て支援だけでなく、皆でお年寄りにも優しい町を目指しましょう。

子供叱るな、来た道じゃ 年寄り嫌うな、行く道じゃ

 

5月
AKBの3カ条を胸に、町民のために努力を新たに採用された7名をはじめとする職員、嘱託、及び臨時職員に辞令を交付したのち挨拶する小山町長。「町長を筆頭に全員が初心に返って、AKBを胸に刻み、自分の役割を果たしていこう」と述べました。そして、ドイツのゲーテの言葉を引用し、「全員が仲間。仲間として努力を続け町民のために働いていかねばならない」と結びました。嘱託や臨時職員の方々にも直接、町長が辞令を交付し、仲間として協力を願うものであり、小山町長が就任してからの試みです。新年度の緊張感が伝わってきます。
4月2日午前9時ごろ 開発センター3階ホール

 

緊張すべきは

蔵王から吹いてくる風が、いつの間にか穏やかになり私たちの町も、今、春の息吹の中にあります。

新人の諸君は、これから始まる仕事、人間関係を思い、期待と不安で緊張しています。しかし、本来、緊張すべきは、町長を筆頭とする管理職であります。

新しい世界に飛び込む者、それを受け入れる者、どちらも初心に返って仕事に取り組む、初心に返って人と接する。それが4月なのです。

さて、このたび、少なからず人事異動をしました。中には、なぜ、私がこの部署に配属されたのだろうか?こんなはずではなかった、と思っている人がいるかもしれません。

しかし、成すべき仕事と勉強すべき材料は無限です。どの仕事も厳しく、どの仕事も誰かがやらねばならぬものです。

ところで、私は今年度もAKBの3カ条を皆さんに繰り返し、お願いするものです。

A  挨拶 挨拶をしっかりとしていただく
K  感謝 ここで仕事ができることに感謝していただく
B  ベストコンディション 体調に気を付けて時間を守る

AKBの3カ条を忘れず、ひとりひとりが、初めて役場に入ってきた日を思い出し、新人になったつもりで仕事に取り組んでいただきたい。

異動のあるなしにかかわらず、町長はじめ、ここに集った方々、すべてが自分の役割を果たし、お互い助け合い、支えあっていけば、おのずと成果が見えてくるはずです。

仲間が必要だ


ドイツの政治家であり文学者であったゲーテは言いました。「仕事をするには仲間が必要だ。仕事をすると仲間が増えてくる。」

ここに集ったひとりひとりが、地域を担っていく、地域を掘り起こしていく仲間なのです。大切なことは仲間として努力を続けていくことです。ひとりひとりが新人になったつもりで町民のために努力を続けていきましょう。皆さんのご理解とご協力をお願いして辞令を交付するものです。

3月

 

川崎町の小ねぎ 全国各地へ!

平成28年4月、川内の荒羽賀山に進出を決めた事業者が、只今、小ねぎを全国に向けて出荷中。

西日本では、小ねぎをふんだんに使った料理を食べることが、当たり前。小ねぎ文化が、まさに〝根づいて〟いるのです。

その西日本で、トップクラスの生産量を誇る会社が、東北に農地を求めている、と聞いたのが4年前。私はすぐに広島にある営農地を訪問。広大なハウスや関連する商品を、そして、パワフルな経営者の姿を目の当たりにしました

以来、東日本にも小ねぎをはじめとする水耕栽培で事業拡大を図ろうとする事業者と、企業誘致を目指す川崎町が意見交換を継続。課題は山積しつつも、地権者の方々のご理解と荒羽賀地区の皆様のご協力をいただき、現在に至っております。

あらためて、事業は始まったばかり。水耕栽培を25年前から手がけている社長さんは広島に留まり、川崎町の営農地は、若い息子さんが陣頭指揮。これから地域に根差していくために大切なことは、働き手の確保。仕事は野菜の収穫、選別、出荷作業など。関心のある方は、気軽にお問い合わせくださいとのことです。

▲ずら~っと並んだ小ねぎの苗たち
▲樹齢?百年の山桜と蔵王がくっきり見えます
▲とてつもなく大きなハウスが3棟 いきとどいた暖房で雪もすぐに解けるとのこと ▲桜の根元には山の神、明治時代に村人が山仕事の安全を願って建立したもの。社長さんも大切にしています
▲50日もたつと収穫 見事な手さばき 見とれていますが・・・ ▲不器用な町長が挑戦
▲沖縄出身の照屋さん「ハイサイ」と一言  「こんにちわ」の意味
▲小ねぎの根を切っているところ リズミカルな仕事ぶりです
▲ チョコえもんのパッケージで登場した小ねぎ。色合いもスタイルも風味もバツグン! ▲根が切られすっきり
▲ 農業の世界に参入して34年。業界で屈指の経営者となった出で来き 社長さん。 「ねぎの味はどうですか?」「もちろん上でき」 ▲蔵王の麓 まさしく蔵王ブランド

 

2月

町長の思いが表紙に!

時事通信社が発行している「地方行政」は自治体幹部、中央省庁や政党、民間企業、研究者など関係者必読のもの。現場で奮闘するリーダーたちの声を誌面に、と依頼されたものです。

1月

入りそめて 国豊かなる みぎりやと
       千代とかぎらじ せんだいの松

1601年、関ヶ原の戦いの翌年の正月、35歳の伊達政宗は仙台築城に着手。4月入城。領国の末永い繁栄を願って政宗はこの歌を詠んだ。百万都市仙台の始まりである。以後、彼は仙台の街づくりにまい進してゆくが、時折、青根の地を訪れている。政宗は青根の湯で戦の傷を癒しながら仙台藩の領国経営を練っていたのであろう。入城から12年後、遣欧使節として170人を束ね月ノ浦から出航したのは、青根の麓で成長した支倉常長であった。

 

町民の皆さん、新しい年が始まりました。とうとうと時は流れていきます。伊達政宗公や支倉常長が活躍してから400年。いつの時代も人々は夢をもち希望をもって努力を続けます。そして、いつの時代も人々には試練があります。だからこそ、私たちは皆様から与えられた信頼に感謝し、目の前にある仕事に謙虚に臨んでまいります。

日が昇ります。季節がめぐり、やるべきことは多く、子供たちは育っていきます。先人たちが凍てつく流れに挑んだように、私たちも夢をもち希望をもって、まなじりを上げて歩んでいきましょう。次の世代にバトンをしっかりと渡すために。それが、私たちの務めなのですから…。